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未来をみつめる

コラム

2020年07月22日

 

新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)が続いている。日本でも、5月末には、緊急事態宣言が解除されたものの、解除後は再び感染の拡大傾向がみられている。この先、いったい私たちの暮らしはどうなるのだろうか。コロナ危機のもとで、多くの人が健康の不安、営業や暮らしの不安のなかで、日々の生活を送っている。
私の関係者に、独身のタクシーの運転手がいる。年齢は60代。コロナ危機の外出自粛で人の流れなくなると、出勤しても売上げが上がらない、売上げが上がらないと歩合給がつかない、結果、給料が半分以下になるという。これでは家賃が支払えないとの悲鳴を上げている。
こういうことは氷山の一角で、フリーランスなど非正規労働、建築現場の下請労働では、休業で減収となっても、政府の補償が及んでいない事例がたくさんあるのが現実である。
コロナ危機が継続するなかで、この国が経済破綻を起こさないために、政府が国民の生活をどう補償していくのか、政治のあり方がかつてなく問われている。都知事選では宇都宮候補が、求められているのは、「自己責任よりも社会的連帯だ」と言っていた。もはや自己責任の強調では社会を維持することはできない。
ウイルス感染症のパンデミックの可能性は、じつは何年も前から予測されていたものだ。
人間の食料への需要の高まりは、先進資本主義の利潤追求と相まって、途上国の森林破壊をもたらし、野生動物と人間との接触によるウイルス感染に繋がる。そして、人と物の動きが、大量かつ迅速であるグローバル社会においては、ウイルス感染は急速に世界全域に拡散していく。今回のコロナ危機も、中国・武漢市での最初の患者発生からわずか6ヶ月の間に、全世界の188カ国に広がっている。
言われてみれば、至極当然の成り行きだ。こうした事態に備えることなく、利潤優先、効率優先を行動原理とする経済活動に邁進してきたのが、現在の「新自由主義」という国家の経済政策だ。経済の規制緩和を促進する一方、医療体制や雇用保障は弱体化されてきた。
未来社会において、人類はウイルスとどうやって共生していくのか、そのための経済政策はどうあるべきかの議論が各所で始まっている。

執筆者:山崎 徹

いまは交通事故事件、離婚事件、労働事件を主戦場としています。
コロナ感染拡大で多くの市民が、命や健康、仕事や暮らしに不安を抱いて日々の生活を送っています。弁護活動においては、人にやさしい癒やしの弁護が求められていると思います。